古事記に出てくる「淤能碁呂島(おのごろじま)」は玄界灘にあった!?
日本のルーツである古事記ってなんとな〜くしか覚えていません
というかほとんど知らないといっても過言ではないでしょう
その内容はどこか神秘的で想像の世界って感じで
まるでよその遠くで起こったできごとぐらいの感覚でした
が、地図を作る仕事をしている時に
天岩戸伝説の神社があったり天孫降臨伝説があったりと
九州には何かと神話にまつわる場所が多くあることにびっくりしました
結構身近なところにあるんだな〜って感じで
なんだか神話の世界がぐっと身近に思えてきたのです
実は神話は実際の話を暗号的に伝えているのかななんて思ってみたり…
でもその神話がやっぱり実話であるかもしれないと思える本に出会いました
古事記の国生みの話は謎が多く
最初に生まれたとされる「淤能碁呂島(おのごろじま)」は
その名前の島がないことから架空の島とかいろいろ憶測されていて
次に生まれた淡路島の近くにあるはずだということで
淡路島の近くにある「沼島」ではないかというのが今は定説となっています
しかし、その説に一石を投じる本が出たのです
その本というのは
『オノゴロ先生の古代史解明シリーズ1
古事記 日本神話の故郷は玄界灘の島々だった!
淤能碁呂太郎(おのごろ・たろう)著/(株)ドリームキングダム編集部』
これを読むとなるほどと思う事が多々書かれています
実はこの本を読む前に
『オッショイ!福岡の神社が面白い
~古事記の神様は福岡にいた~
井上正典著/兵土剛編/(株)啓文社書房』
という本を読んでいたのですが
これがまた、古事記の日本神話は福岡のことであるという話なのです
福岡の神社には「海砂」で体を清める行為
「お汐井(おしおい)」というのがありまして
筥崎宮曰く
『お潮井取り(お潮井汲み)」は、博多に古くから伝わる風習で
“お潮井”とは筥崎宮前の海岸(箱崎浜)の真砂(まさご)のことで、
この砂が外出時に事故やけがなどから身を清め、災いを払うもの』で
この「お汐井取り」という風習が福岡県以外の土地にはない
ということらしいのです
博多三大祭りである「博多祇園山笠」でも「お汐井取り」が行われます
福岡の人なら当たり前のようなことが
他県ではないというのはなんだか神話に近づいた気がしてきませんか?
古事記には黄泉の国から逃れたイザナギが
海砂で体を清めたということが語られていますし
先日世界遺産にもなった宗像の「沖ノ島」では、
島に入る前に素っ裸になって海水で身を清めないと島には入れません
それはたとえ天皇陛下であってもということらしいのです
そして、「漢委奴国王 (かんのわのなのこくおう) 」の
金印が出土した志賀島には、志賀海神社があるのですが
ここで春と秋に行われる「山誉れ祭」での口上には、
日本人なら誰しもが知っているある一節があるのです
その一節とは「君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
そう、日本の国歌になっているあの一節なのです
志賀海神社は綿津見(わだつみ)三神を祭る
「綿津見神社」海神社の総本社を称し、
古代氏族の阿曇(安曇/あづみ)氏の神を祀っている神社なのですが
その「山誉れ祭」を三韓出兵の時に見た神功皇后(仲哀天皇の皇后)が
末永く伝えよといったという話です
ちなみにこれは本には書かれていない事なのですが
香椎宮は三韓出兵を拒んだ仲哀天皇が亡くなり、その仲哀天皇を祀っています
その香椎宮のご神木は「綾杉(あやすぎ)」で
紀元860年(西暦200年)に神功皇后が植えたとされる木です
古今和歌集にも「ちはやふる香椎の宮のあや杉は、神のみそきにたてる成りけり
(詠み人知らず)」と唄われています
日本という国は西暦で言うところの紀元前660年の2月11日に初代天皇である
神武天皇が即位して始まったとされています
ということは日本という国は2678年続いていることになるんですね
知ってました?
他にも福岡の神社の事等いろいろ書かれていて、このことから
福岡は古事記の神話に深い関わりがあるのではないかということなのです
結構信憑性があって面白いなと思っていたのですが
さらに面白い説に出会ったのです
それが冒頭でも話したオノゴロ先生の書いた本なのです
この本では国生みの物語で生まれた島が
玄界灘に浮かぶ島々なのではないかと仮定して
その仮説が正しいのか検証していっているのですが
この本を読むとたしかに今までの説よりも説得力がある気がします
(といっても詳しく知っているわけではないのですが…)
日本で最も神聖な島である「沖ノ島」が近くにあることや
大陸に近く様々な文化が入ってきやすいことなどからしても
いきなり畿内方面に行くよりも北部九州から始まって行くのが
理にかなっていると思うのです
そして語り継がれた神話の多くが九州にまつわるコトが多いのも
やはり九州であるということが自然なことなのではないでしょうか
では古事記に出てくる「淤能碁呂島(おのごろじま)」とはいったいどこなのか?
それは「小呂島(おろのしま)」と「能古の島(のこのしま)」のことなのではないかということです
信じるか信じないかはアナタ次第です!笑
畿内説を唱える人には受け入れがたいことかもしれませんが
九州、特に糸島という古代「伊都国」に住んでいることを考慮しなくても
これこそ真実の日本史ではないかと思ってしまうのです
二見が浦の夫婦岩はイザナギ、イザナミを祀っていて
夏至の日にはその間に日が沈むのです
これだけでも十分神秘的なのに
その間から小呂島が見えるというんです
偶然にしてはあまりにもできすぎているとは思いませんか?
※写真では水平線の右端に見えるのが小呂島ということでしょう
今度はそんな古事記への思いをはせながら見てみようかな